関西人Yeni.の横から失礼します。vol.44

 

 

去る10月29日は、トルコ共和国建国記念日で国民の祝日であった。なんと今年は記念すべき100周年だったが、日曜日とがっつりカブり、なのに翌日月曜日は普通に平日だったというトルコあるあるで終わった。しかしこれにはちょっとしたオマケがあったのだ。それはお話の結末においておくとして、そもそもこの国には振替休日という観念がない!それで今までどれだけ週末にカブる連休を無駄にしたか・・・私の有給休暇返せ(泣)!

いよいよ、祝日当日。夫フローラは仕事でおらず、息子ポケモンは友達と約束があると言い、まるまる空いた日曜のぼっち時間。子どもが大きくなると、どんどん一人になる時間が増えていくのだな。自分の時間が全く無い、とあれだけ嘆いていた時期もあったのに。

さてどうしようか、たまには家の掃除をしてゆっくりごはんでも作ろうか・・・いらんわ、そんなん。天気もええし、家にいるなんて勿体無い。せっかくの休日、100周年記念日を市民がどんな風に祝っているか見てやろうという口実で、私は家を飛び出したのだった( 家事から逃げただけ説も)。

まず向かったのは、イスタンブール新市街ベシクタシュの海岸通りで一際目を引くドルマバフチェ宮殿。オスマントルコ帝国時代の建築物で、共和国時代になってからはトルコ建国の父でありトルコ共和国初代大統領だったムスタファ・ケマル・アタテュルクがイスタンブール滞在時に公邸として使用した宮殿である。ちなみにアタテュルクは当宮殿で息を引き取ったことから、彼の命日である11月10日にも沢山の市民が追悼に訪れる。久しぶりに入ってみよかな・・・と思ったのも束の間、ベシクタシュの船着場あたりから始まる恐ろしく長い行列を見て、やめた。外からのゲートの様子のみビデオに収めて、次の目的地へ。

今度は旧市街スルタンアフメットに到着。普段から週末はいつも混み合う場所だが、今日はさらに人が多い。イスタンブールにお住いの皆さんも、イスタンブール市民がこぞってトルコ国旗に合わせた赤い服を着て、手にはトルコ国旗を持ち思い思いにこの日を祝っていたのをあちこちで見かけられたことだろう。

夏のような陽気の下、トルコ国歌や建国を祝うマーチのメロディーが通りを走る車のカーステレオから大音響で流れ、無数のアタテュルクの肖像とトルコ国旗が街中で風になびき、イスタンブール中が赤と白に染まっていく。スルタンアフメットに来ると決まって、いつもこの街に住み始めた当初のことを思い出す。自分がここに暮らし始めてから25年が経ち、少なくとも共和国歴史の4分の1は私もつぶさに見て来たのだと、ちょっとした自負とノスタルジーに浸った。25年前独身時代に住んでいた、あのアパートは今もあるだろうか。そうだ、訪ねてみよう!

ブルーモスクを後にして、海沿いの国鉄線路へ向かって歩く知った道。ドキドキしてきた。周囲は随分様変わりしていたが、迷うことなくかつてのアパート前に到着した。ここやんな?隣のアパート玄関に居合わせた人に尋ねると、当時ドイツ在住だったKFCカーネル・サンダース似の大家のおじさんは既に亡くなっていたことがわかった。もっと早く来ればよかったと、激しく後悔した。サンダースおじさん(仮名)は、時々ドイツからやって来て私の部屋の上に暮らし、いつも私に優しくしてくれて、なにかと世話を焼いてくれたものだ。一緒にトプカプという町までガスストーブを買いに行ってくれたこともあった。敬虔なイスラム教徒だからか、近所の目を憚ってか、いつも私に「家に男連れて来たらあかんで」と釘を刺していたのも懐かしい思い出だ。それでも時々見つかって(勿論、フローラですよぉ〜)、
「フローラ君ええ子やけどな、せやけど・・・家は困るわ  
とよく小言を言われたあの頃。サンダースおじさん、私あれからフローラと結婚しましたよ。息子も17歳になりました、と報告出来る相手はもうこの世にはいない。トルコ移住後初めてイスタンブールに遊びにきてくれた家族と一緒に、アパート屋上のテラスから見上げたブルーモスク。そんな記憶が込み上げてきて、勝手に泣けてくる。我慢できず、かつての自分の部屋まで行ってドアをノックしたら、そこにはアフガン難民の家族が住んでいた。年若い男性に、サンダースおじさんの奥さんにお悔やみが言いたいので連絡先を教えて欲しいと言うと、家のことは僕らのまとめ役の人が全部面倒を見ているので僕にはわからないと流暢なトルコ語で返答された。なんだか訳ありな感じもしたのでそれ以上詮索も出来ず、突然訪ねた無礼を詫びて退散したのだった。

最終地点は新市街に戻ってカバタシュへと足を向けた。カバタシュはベシクタシュから続く海岸通りの町。ここでさらに人混みが巨大なダンゴ状態になっていたのでそばにいる人々の声に耳を澄ますと、どうやらもうすぐトルコ国軍の戦闘機ショーと100周年に掛けて軍艦や軍用船100隻がボスポラス海峡を通過するらしい。高台に行かないと海が見えないので、市民はこぞって近辺の階段やてっぺんに登って待機しているのだった。近くの階段のへりに陣取ってしばらくすると、キーンと耳をつんざく戦闘機の音とともに割れんばかりの拍手喝采。私のいる場所からはよく見えなかったが、数機がトルコ国旗のモチーフである月と星や、100という数字をなぞって空に白煙を浮かび上がらせ、その度に歓声が沸き起こる。トップガンの世界やな。かと思うと、あちこちから、「来るで、来るでぇ〜!!」の雄叫びが。何が来んねん、とボスポラス海峡の南側に広がるマルマラ海の方向をみると、遥か彼方から連合艦隊?!のような軍艦の船団がゆっくりと浮かび上がってきて、まるで映画の海戦シーンを観る思いだった。トルコ独立戦争もこんな感じだったのだろうか。私の後ろにいたトルコ人のおばちゃんは溜息混じりに、
「私らの誇りやわ・・・ホゥ
と感嘆の声を何度も漏らしていた。そうかと思うと、横にいた小学生の男の子は戦闘機や軍艦を観て大興奮し、
「お父ちゃん、僕パイロットになるわ!な、ええやろ?戦闘機に乗ってな、イスラエルの奴らの目にもの言わしたるわ!!」
と息巻いていた。お父ちゃん沈黙、お母ちゃんは周囲の目も気にしながら、
「あんた、なんちゅうこと言うの!自分の言うてる事わかってんの?!」
と我が子をたしなめていた時、私と目が合って気まずそうだった。子どもの世界は大人の縮図とはこのこと、私も暗澹たる気持ちになった。

イスタンブールでは前日28日と記念日当日の二日間は公共交通機関が無料、先述のドルマバフチェ宮殿とトプカプ宮殿の拝観料も無料となったからか(トルコの身分証明書を持つ市民に適用)、特にスルタンアフメットからカバタシュへのトラムが異常な混み具合で、冗談抜きで圧死するかと思うほど身の危険を感じた。うっ、ぐるじい・・・。
本来イベントのクライマックスは、ボスポラス海峡を彩る花火やドローンによるライトアップショー、そして各地で行われるコンサートや灯火行進なのだが、おばちゃん疲労困憊で、帰宅。オリンピックではないが、見物出来なかった私が負け惜しみで「テレビで観んのが一番ええねん」とひとりごちて、建国記念日は終わったのだった。ところが。同日夜10時に、突然この国の王様がXからツイートを発信、

「民(たみ)よ、今日はお疲れさん。あ、明日学校休みにするから。よ・ろ・し・く♡

え・・・それ今言うん?夜の10時に?・・・

 

[email protected]
@yomikiriistanbul
@torukohitokomagekijou
 読み切り![イスタンブール]
 トルコでこどもを育てています。

 vol.43                             aaaaaaaaaaindex  

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