関西人Yeni.の横から失礼します。vol.30

夫フローラのダイ(トルコ語でDayı=伯父)が、突然亡くなった。享年73歳。どちらかと言うと無口だがいつもニコニコ穏やかで、私にも息子ポケモンにも優しく接してくれた良い人だった。

ダイが死去したその日、夏場ということもあって同日のうちに葬儀を執り行うことになり、私達も慌ただしく隣県のダイ宅に駆けつけたのだった。イスラム教では一日5回のうち昼の礼拝時間に合わせて葬儀をすることが一般的だが、昼には間に合わず夕方の礼拝に合わせた葬儀となった。まずダイの家に行くと、親族や友人・知人、隣近所の女性達が次々にダイの家族を弔問に訪れていた。イェンゲ(トルコ語でYenge=奥さん。トルコでは他家からお嫁に来た兄弟またはおじの妻のことをこう呼ぶ)は、私達の姿を見るとダイの早すぎる死を悔やんでおいおいと泣き出した。普段は冷静であまり感情を表に出さないイェンゲがこんなに取り乱した姿を見たのは初めてで、胸が締め付けられた。近所の女性達だろうか、彼女らの手作りによるヘルバ付きピシ(練り菓子の載った揚げパン)が弔問客に振る舞われた。ショックで何も出来ないでいる遺族を助けてテキパキとお世話をしてくれるご近所さんとは、なんとありがたいのだろう。一方、男性達はダイ宅には上がらず、外で待機していた。病院での手続きや葬儀の手配など、フローラを含めた親族は忙しく走り回っていた。

 

 

しばらくするとダイが安置された柩を載せた霊柩車がダイ宅のあるアパートの前に停まり、そこでまずお別れがあった。親族や参列者が見守る中、モスクから呼ばれたイマム(僧侶)がお祈りをしている間、並べた椅子の上に柩が載せられ蓋が外された。身体を清められた故人は白い布に包まれていて、顔の部分の布の結び目が解かれると身内だけがダイの顔を見ることができた。しかしイェンゲは泣き崩れていてとても立っていられる状態ではなく、ダイの顔を見ることはなかった。フローラも見るのを拒んだ。フローラはダイが好きだったし頻繁に会っていたので、耐えられないのだろう。フローラの数多いいとこたちの中で私が一番親しいトゥル美がダイの娘なのだが、彼女がダイの顔にお別れのキスをしたのを見た時、ずっと前に亡くなった日本の父が重なって嗚咽した。私は父ときちんとお別れをしていない・・・。父親が逝去した時私は息子を身籠っていたが、妊娠経過が芳しくなくドクターストップが掛かって日本に帰ることが叶わなかったのだ。最後に会った時の父は普段と変わらず元気で、まさかもう二度と会えなくなるとは思ってもいなかった。結局日本に帰省出来たのは、父の逝去から8ヶ月も経った後だった。仏壇に飾られた遺影と小さな骨壷だけを見せられてもどうしても信じられないし、16年経った今でもそれは変わらない。そもそもトルコと日本で離れて暮らした年月が長かったので、父の不在を実感として捉えることが出来ないでいたが、実父を亡くしたトゥル美を見ていたら、父の悲報を聞いた時の記憶が蘇って、自分の中できちんと父とお別れが出来ていないことに改めて気づかされたのだった。

 

 

その後、親族と参列者はモスクでの葬儀へ向かった。故人宅に行かず、ここへ直接訪ねてくる弔問客も多い。少し早めに届いた柩がモスク敷地内の屋根付きテントの台座の上に置かれた。しばらくは離れたところにいたが、お別れが近づく中少しでもダイのそばにいようと柩の近くへ行くと、トゥル美がつと柩の前に立ち、両手のひらを柩に当てた。それからずっと何十分もそのままで、ただ手のひらを当てたまま彼女はそこに佇んでいた。もともと小柄で華奢な子だが、今日はさらにか細く、頼りなく見えた。時々何かを呟いては涙を流していたが、トゥル美はダイになんて話しかけていたのだろう。こんなに悲しく切ない、父と娘の別れの姿があるだろうか。私は、こんな風に父とお別れする機会がなかった・・・。トゥル美を羨ましいと思う私は、おかしいだろうか。ダイとトゥル美の様子がそのまま父と自分に重なって、さらに嗚咽した。義理の妹のアイ子は、「Yeni.姉さんは、これほど辛いことにどうやって耐えてきたの・・・」と言って泣いた。違う、私は今だに気持ちを整理できないでいるんだよ。

やがてモスクでの葬儀が終わり、埋葬のため墓地に向かった。トルコは土葬なので、身内にとって火葬とはまた違った辛さがある。私達が到着した時にはもう盛り土がなされようとしていた。聞くと、故人の頭部はイスラム教の聖地メッカの方角へ向けて安置されるという。さらに、仰向けではなく斜め45度ほどに体を起こして置かれ、顔もメッカの方角を向くようにされるのは興味深い。ダイ、かなり首を後ろに回さんとメッカがしっかり見えへんで!・・・と不謹慎な冗談を書いていても、涙が出てくる。自分の両親のお墓の隣に安置されたダイは、こうして土に還っていったのだった。

全てが終わると、墓地まで来てくれた参列客に、アイラン(塩味のヨーグルト飲料)、鶏のピラフと揚げ菓子の折詰が振る舞われ、そのまま墓地に座って頂く人もいれば、持ち帰る人もいた。こんなに悲しくても、人間腹が減る。だから生きていけるのだな。どんなに辛いことがあっても、生活は、人生は続いていくのだから。ダイに、私の父に、合掌。

 

 

 


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 読み切り![イスタンブール]/ トルコでこどもを育てています。

 vol.29 キラ難民                   aaaaaaaaaaindex  

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