関西人Yeni.の横から失礼します。vol.39

高校生の息子ポケモンが2週間の学期休み(トルコの学校は9月始まりの前期と2月始まりの後期からなる二学期制)を経て新学期を迎えた月曜日、折しも週末からトルコを襲った大寒波の影響で前もって休校措置になっていた、その日だった。2月6日早朝4:17に、トルコ地中海地方カフラマンマラシュ県パザルジック市を震源地とするマグニチュード7.7の地震が発生したのだった。

夫フローラに「ちょっと起きや! トルコえらいことになってるで!!」起こされ、なにごとやねんと寝ぼけながらテレビのニュースを見て愕然とした。トルコ南部の街々が、まるで戦場のようだったから。犠牲者のご冥福をお祈りすると共に、被災者の方々の手厚い生活支援と被災地の早急な復興を願うばかりだ。

あれから3週間目に入ったトルコで、何が変わったか。ポケモンの通う高校から突然連絡が入り、校舎の耐震性に問題があるので取り壊し若しくは耐震補強工事を行うため、急遽別の高校に明々後日引っ越すと言われた。へ?ポケモンの高校は1999年以前に建設された公立学校で、それ以降一回だけ耐震検査はしたものの、なぜか結果が出ないまま今に至っていたようなのだ。は?それ、今言うのん?

1999年がなぜ基準になるかと言うと、今回の地震から24年前の1999年8月17日の未明3:02に、イスタンブール近辺も同じような目に遭っているのだ。マルマラ海沿岸のコジャエリ県でギョルジュック市を震源地とするマグニチュード7.6の地震が発生し、多数の建物が倒壊し1万8,373人が犠牲になったとされている。ギョルジュック地震直後から災害減少対策が盛んに論議され、人々は地震に対して敏感になり、建築物の耐震規則も何度か見直された。住宅再建も奨励され、地震に強い都市づくりを目指す雰囲気が確かにあった。なのに、今テレビの映像を見ていると、パンケーキのようにペシャンコに崩れ落ちていく建物は、1999年当時のそれと全く変わっていないではないか。まるでデジャブだ。

年始のコラムで「どうか、トルコ国民が(+私も)分け隔てされることなく心豊か且つ懐(ふところ)も豊かに暮らせるような政治をしてくれる人々が勝利する選挙結果となりますようにと選挙の行方への懸念を書いたが、こんな形でトルコが大惨事に襲われるなんて。約25年前からこの国にいるが、私が来るずっと前から国境周辺で続く反政府武装組織との軍事衝突、大地震、繰り返す経済危機、連続テロ、大量の難民流入、炭鉱事故、クーデター未遂・・・数えたらきりがない。なんと不幸な国だろう。

地震報道を見ていて思うが、唯一救われるのはトルコの普通の人々の強い同情心と互いに助け合う姿だ。全国各地からNGO、有志が続々と被災地入りし、連日被災者の傷を癒し避難生活を支えている。今回の地震報道では当局による捜索救助隊や救援物資の到着が大幅に遅れたとされ、倒壊家屋に残された人々が遅々として救出されず、自力で助かった人々も就寝中を襲われたため着の身着のままで路上に飛び出し、家族も家も全て無くし、食料も水もなく、暖も取れないままの悲惨な日々が続いて、自分たちは国に捨て置かれたと慟哭する被災者たちの姿をテレビで頻繁に目にした。そんな中で黙々と捜索救助活動に励んでいたのが、各地の鉱山から応援に詰め掛けた炭鉱夫の人々である。彼らは普段から炭鉱内で鉱脈を掘る際に『豚天井』と呼ばれる独自の坑道構築テクニックを身につけていて、それを捜索救助活動にも応用して瓦礫の中から沢山の人々を救出することに成功した。

昨年2022年10月14日、バルトゥン県アマスラ炭鉱内で爆発事故があり、41人もの炭鉱夫が犠牲となったことはまだ記憶に新しいが、自分たちも炭鉱で多くの仲間を亡くし、常に死と背中合わせの危険な環境で働いているにも関わらず、こうやって被災地に駆けつけて捜索救助活動に関わる献身的な姿を見ると涙が出る。この国の心優しく善良な人々が報われないまま死んでいくのを見るのは、もうたくさんだ!!!

 

 

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 読み切り![イスタンブール]/ トルコでこどもを育てています。

 vol.38                             aaaaaaaaaaindex  

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